みもみのページのみもみ氏に情報を提供していただいた。御礼申し上げる。
・歴史
1960年(昭和35年) 3.31 松戸循環線松戸〜〜和名ケ谷〜稔台〜北松戸〜松戸間を開業。(広報まつど)
1965年(昭和40年) 8.23 松戸循環線松戸〜工業団地〜和名ケ谷〜松戸間を開業。(松戸市政要覧)
1974年(昭和49年) 9.9 和名ケ谷中台〜日枝神社間を延長。和名ヶ谷中台折り返し便が日枝神社に乗り入れる。(広報まつど)
1980年(昭和55年) 3 松戸駅〜工業団地〜松戸車庫(現紙敷車庫)〜五香線、松戸駅〜工業団地〜紙敷車庫線、五香駅〜紙敷車庫線を開業。(広報まつど)
1982年(昭和57年) 12.15 紙敷車庫〜如来堂〜松戸駅線を新設。(年報)
1985年(昭和60年) 9.16 松戸駅〜東部支所間を新設。(年報)
1998年(平成10年) 3.14 武蔵野線東松戸駅開業に伴い駅前広場へ乗り入れ開始。松戸駅〜東松戸駅間の運行を開始?(年報)
2000年(平成12年) 8.15 松戸駅〜日枝神社、松戸駅〜日枝神社〜北松戸駅〜松戸駅、松戸駅〜五香駅間の系統を廃止。
松戸駅東口−岩瀬十字路−岩瀬−一本松−胡録台−富士見台−工業団地入口−協立機電−工業団地−日邦工業前−吉野工業所前−日立工場−和名ヶ谷−稔台十字路−春木川−初崎−河原塚中学校−京成分譲地入口−紙敷車庫−市立高校−松飛台駅入口−串崎入口−泉ヶ丘団地入口−松飛台−松飛台十字路−御立場−松飛台入口−五香駅西口
昭和55年の紙敷車庫開設後すぐに運行開始になったのであろう松戸駅〜五香駅間の通し便は平成12年8月16日のダイヤ改正で廃止された。かなり長距離であり本数も少なく、おそらく通しで乗る客も少なかったと思われる。松飛台から松戸方向に向かう需要はある程度存在したのかもしれないが、北総開発鉄道が全通し松飛台に駅ができたことにより存在価値が低下したのだろう。
松戸駅東口−岩瀬十字路−岩瀬−一本松−胡録台−富士見台−工業団地入口−協立機電−工業団地−日邦工業前−吉野工業所前−日立工場−和名ヶ谷−和名ヶ谷中台−日枝神社−和名ヶ谷中台−和名ヶ谷−日立工場−稔台−稔台駅前−稔台駅入口−松戸新田駅入口−松戸新田−市立病院前−明治神社−北松戸駅−上本郷二丁目−上本郷一丁目−花島−竹ヶ花−衛生会館−市役所入口−岩瀬十字路−松戸駅東口
両系統ともに平成12年8月のダイヤ改正で廃止された。松3番系統は工業団地を経由して日枝神社に至る。もともとは和名ケ谷中台で折り返していた。地図を見ると半周したような格好だ。本数が少ないが、単独区間は和名ヶ谷中台と日枝神社の一区間だけなので問題無いのであろうか。といっても和名ヶ谷中台〜和名ヶ谷間で並行する如来堂経由紙敷車庫行きと循環系統と循環系統もまた本数が少なく、全部あわせても1時間に1本あるかないかである。
松戸駅から工業団地を経由したバスは和名ヶ谷中台の手前で紙敷車庫方面に向かう系統から分岐して直進し、林の中の坂を下り、神社の森の中に突っ込んで終点の日枝神社となる。丘陵と丘陵の間の谷間に位置しており日枝神社からはどこへ行くにも坂を登らなければならない。日枝神社のそばには松戸ラドン温泉があるが、他にたいした物は無い。
例外として、平日の朝に1本だけ、ここからまた来た道を途中まで戻り、新京成線の稔台駅、松戸新田駅付近を通って北松戸に出て、さらに松戸へと戻ってくる松4番の循環系統がある。こんな大回りをする必要は無いような気がするし、何のために走っているのかわからないが、北松戸駅の近くに市立病院があるので、稔台、日枝神社、和名ヶ谷方面から通院するお年寄りを乗せようということなのかもしれない。実はこれが松戸循環線の原型に最も近い系統なのであるが、他の系統ができると本数が減ったらしく昭和42年の段階で1日1本になっている。反対回りの便があったと以前書いたが、ひょっとしたらなかったのかもしれない。時刻表の記載があいまいなのでよく分からないが、当時はどちらも日枝神社を経由していなかったのは確かだ。
松戸駅から紙敷地区に至る系統で、東松戸駅ができるまで運行されていた。東部スポーツパークの知名度は市内でもそれほど高くなく、松戸駅からわざわざ行く人はそれほど多くなかっただろう。むしろ他に折り返す場所がないからここまできていたものと思われる。
馬橋駅前−王子神社−馬橋北−三ヶ月−二ツ木−幸谷坂下−清志町−東漸寺前−北小金駅入口−北小金駅前
1968年(昭和43年) 9.16 新京成バス、幸谷線馬橋駅〜北小金駅間を開業。(広報まつど)
1985年(昭和60年) 1.25 新京成バス、幸谷線馬橋〜北小金間を廃止。(50年史)
馬橋駅の東口の駅前から発車し、常磐線の線路から少し離れたところを走り、北小金駅前に乗り入れていた。昭和43年9月16日に運行開始となり、昭和60年1月25日に廃止されている。子供のころ東口の狭い駅前広場に古いバスが止まっているのを見た記憶がある。馬橋駅東口の駅前は大型バスが入れず、北小金の駅前も区画整理前はこれまた狭くて大型車が入れないため中型のバスで運行されていた。というのは間違いで、みもみ氏から頂いた情報によれば、大型車で、しかもツーマン運行だったそうである。
柏市史年表によればかつて東武バスが柏車庫(現柏文化会館入口)〜小金〜馬橋〜松戸駅という路線を走らせていたことが分かる。この路線は昭和46年12月23日に廃止の認可が下りており、東武バスが松戸〜北小金間を廃止して、新京成バスがその後を引き継ぐ形になったようだ。
昭和43年10月20日発行の「広報まつど」に掲載されていた開通当時の時刻表は以下の通りである。
馬橋駅発 | 北小金駅発 | |
6 | 57 | |
7 | 27 59 | 11 42 |
8 | 59 | 13 30 |
9 | 15 38 53 | 19 33 54 |
10 | 09 27 41 | 11 24 46 59 |
11 | 02 | |
12 | 15 44 | 30 58 |
13 | ||
14 | 50 | |
15 | 20 50 | 05 35 |
16 | 49 | 05 |
17 | 18 47 | 04 32 |
18 | 16 | 01 32 |
19 | 46 | |
20 | 16 44 | 01 30 58 |
馬橋駅−馬橋小−三村新田−坂川橋−六尺橋−主水稲荷(六和出張所?)−六和
1961年(昭和36年) 4.1 馬橋駅東口〜三村新田〜六和間を開業。(広報まつど・松戸市政要覧)
1972年(昭和47年) 6.5 新京成バス、馬橋線馬橋駅〜六和線の始発停留所を西口に変更。(広報まつど)
1979年(昭和54年) 3.20 新松戸線新松戸駅〜馬橋駅間の開業により廃止。(50年史・広報まつど)
私は松戸市に住んでいるが、このバスは記憶にない。それもそのはずで昭和54年3月に、現在の新松戸線の運行開始と同時に廃止されている。先端部は昭和60年発行の流山市の都市地図(昭文社)で確認できるが、昭和55年発行の松戸市の都市地図では確認できない。何故か首都圏広域市街地図集98年版(人文社)には掲載されている。
運行開始は昭和36年4月1日である。当時常磐線の西側は田んぼばかりで、バスはわずかに開けた集落の中を走っていた。バス路線の痕跡は現在残っていない。しかしきれいに区画整理された町並みの中で古い家並みが続く道が一本だけあり、これが当時のバスが走った道だと容易に判断できる。かつては東口発着だったようだが、首都圏広域地図集によれば馬橋駅の西口が起点になっている。1979年度版の松戸市の都市計画を見ても西口発着であると思われるので、廃止の直前は西口発着であったことは間違いないだろう。常磐線は昭和46年に複々線化され、それと同時に踏切を廃しすべて立体交差となったから、この路線も複々線化とともに西口発着に改められたのだろう。常磐線の線路を渡っていたとおぼしきあたりは武蔵野線との渡り線ができてしまい、歩道橋があるだけで車は渡ることができない。
六和行の経路は現在走っている新京成バスの新松戸行きの経路よりも北寄りを走り、三村新田で交差する。かなり細い道でなぜこのようなところを走るのか疑問に思ったのだが、昭和30〜40年代の馬橋駅西口一帯は一面の水田地帯で、道らしい道が他になかったようだ。道理で沿道には古い商店が多い。過去の地形図を見る限りでは現在新京成バスの新松戸線が通る道は昭和50年ごろの区画整理でできた新しい道である。
三村新田からは曲がりくねった細い道を行き坂川をわたる。坂川は江戸川のすぐそばを流れる小さな川で、その名前は「逆川」に由来すると言う。江戸川より若干低い位置にあるためかつては名前の通りの暴れ川であった。江戸時代から継続して治水事業が行われ、より合流しやすい地点を求めて南へ南へと川を延長した結果、坂川と江戸川との合流地点が五ヶ所もある。合流地点には排水機場があって、ポンプの役目を果たしている。昭和60年前後に坂川放水路が作られ江戸川と結ばれたことにより、六尺橋以遠の景観は大きく変わってしまった。
六尺橋は現在存在しないが、昭和58年竣工の坂川橋と同じ位置だろう。ここから先は田畑が多くなり、さらに道が細くなる。大型車では絶対に曲がれない道があるので、中型車での運行だったのであろう。終点の六和は京成の主水バス停のそばであるが、折返し場の跡は発見できなかった。
八柱駅−霊園坂下−小山台−グランド前−牧の原小学校−公団入口−常盤平支所前−さくら通り入口−常盤平駅
1975年(昭和50年) 7.7 牧の原団地線常盤平駅〜牧の原団地間を開業。(50年史)
1980年(昭和55年) 3 八柱駅〜牧の原団地線、八柱駅〜常盤平線を開業。(広報まつど)
2000年(平成12年) 8.15 八柱駅〜常盤平駅間の系統を廃止。
ダイヤ改正により廃止された。牧の原団地線なのに団地を経由しないという不思議な系統で昭和55年3月の八柱駅〜牧の原団地線と同時に開業したものであった。
五香駅西口−五香十字路−元山−元山駅入口−自衛隊前−官舎前−椚山十字路−椚山駅前−庚申前−大町駅−大町新田−新畑−大町−駒形−大野入口−高塚新田−高塚−福祉センター入口−中台−東松戸駅−栗子橋−京成分譲地入口−中割−田中新田−河原塚坂上−河原塚−八柱霊園−神戸船舶装備前−中参道−霊園坂下−八柱駅
平成12年8月のダイヤ改正で廃止となった系統である。電車で二駅分の距離を大回りして八柱駅に向かう系統で、平日のみの1日1本、しかも逆方向が無い片道路線だ。昔は逆回りがあったらしいが、廃止されている。したがって、終点の八柱駅にはこの系統の停留所が無い。五香駅のバス停には、マジックの手書きで、「平日のみ、1日1本、八柱行です」と書かれていた。
しかし末期こそ1日に片道1本しかなかったが、八柱5番系統の五香〜八柱線こそが元祖八柱線なのである。社史に「八柱循環線」とあるのはそのためである。新京成線の開通以前に走っていた鉄道代行バスを除けば松戸市内の新京成バス第1号である。鎌ヶ谷大仏へはくぬぎ山十字路から現在の国道464号線を通り、初富を経由していた。これはかつての鉄道代行線のルートである。代行線時代は椚山十字路から五香を経由して、京成バスの松戸〜白井線などと同じルートで松戸駅まで出ていた。
またこの系統は新京成バスの松戸営業所で唯一鎌ヶ谷市と市川市に乗り入れる系統であるが、客を乗せようという気が無いようだ。その証拠に、五香十字路〜椚山十字路間は進行方向の反対側にバス停がある。バスを待つ場合どうすれば良いのか疑問だが、おそらく誰も乗らないので問題無いのだろう。五香駅を出てから大町までは新京成線の踏切を4回も渡る。道が曲がりくねっているわけではなく、線路が曲がりくねっているからだ。大町駅から大野入口までは京成バスの本八幡行と並行するが、例によってバス停が全く統一されていない。高塚からは東松戸病院から八柱へ向かうバスに合流し、普通の八柱行のバスに化ける。ちなみにこの路線の廃止により、新京成バスの営業エリアから市川市が外れた。
また、松戸市統計書によれば、五香駅から鎌ヶ谷大仏に至る系統もあったようだが、これも本数が少なく、人知れず廃止になったようだ。
1958年(昭和33年) 8 新京成バス、北松戸線北松戸駅〜八柱〜五香駅間を開業。(30年史)
五香駅西口−五香駅入口−金ヶ作−牧の原−公団入口−子和清水−霊園坂下−八柱駅
数年前金ヶ作停留所とおぼしきあたりを自転車で通ったとき、いかにもバス停にあるようなベンチを見つけたことがある。この路線の経路はかつて走っていた京成バスの松戸〜五香〜白井系統の経路とほとんど同じで、本数は京成のほうが多かった。大昔に松戸〜松戸新田〜八柱〜五香間に新京成が走らせた系統のなれの果てだと思われるが、どうして残したのかよく分からないような、そんな路線であった。
北小金駅−駅入口−根木内−宿畑−根木内中学校−西新田−広池学園入口−東山小金毛織前−光ヶ丘−酒井根中央−酒井根三叉路−酒井根庚申前−酒井根道−金が作入口−恩田病院入口−京成住宅−郵便局前−五香駅
北小金駅と五香駅を結ぶ路線。昭和32年2月開通と比較的古い路線だが、本数が少なく西新田〜金ヶ作入口間での乗客はおそらくほとんどいなかっただろう。昭和50年代の前半ではツーマン運行だったらしい。平成11年の段階では北小金〜西新田間の区間便が1時間に2本、北小金〜酒井根中央〜五香駅線が1日4往復、北小金〜逆井入口間が1往復だった。平成12年8月16日の改正では西新田〜金ヶ作入口間が廃止され、南北に分断されてしまっている。廃止を免れた北小金〜西新田間も1時間に1本程度になってしまった。また平成11年(1999年)年12月16日に1日1往復の逆井入口経由便の廃止と同時に北小金駅周辺のルートも変更された。
北小金の駅前が区画整理されて立派な駅前広場ができるまでは、東武バスの南柏駅行と、この系統のみが駅前に乗り入れ、駅前へは駅の横手のパチンコ屋の脇の狭い道を曲がりながら降りてきていた。当時はもちろん中型のバスで、現在もほとんどがそうである。99年12月16日までは北小金駅からいったん南下して左折して国道6号線に入り、根木内の手前で、右折して西新田へと向かっていた。地図を見るとなんとも遠回りなルートだが、方向間隔がおかしくなるようでなかなか面白かった。12月16日からルートが変わり、遠回りせず、東武バスの南柏駅行と同じルートを通りほぼまっすぐに根木内を目指すようになった。国道6号線を経由しなくなったため、小金下町や久保平賀のバス停も当然止まらない。
西新田は松戸市の外れ、小金原団地の北にあり、住宅地が広がる。「みもみのページ」によれば、西新田から北小金駅の駅前に入らずに、常磐線の線路を越え、北小金駅北口を経由した後に下の幸田循環線に乗り入れる便もあったらしいが、そのあたりの記憶があいまいなので良く分からない。西新田から坂を下り、広池学園前との中間地点の谷間に折り返し場がある。といっても仮設トイレがあるほかは何も無い。
以下は平成12年8月16日の改正で廃止された区間について記す。西新田からは1日数本となり、光ヶ丘の手前で左折すると酒井根まで南柏駅からの東武バスの路線と並行する。並行すると入っても、「光が丘」以外は停留所の名前を統一しないばかりか、東武バスは無関係とばかり好き勝手な場所に停留所を置いている。例えば新京成の「酒井根三叉路」は東武の「酒井根」と同じ場所にある。新京成の「酒井根中央」は東武の「竜光寺前」と「酒井根」の中間にある。
このことだけを見ても新京成のやる気の無さがわかるというものだが、「酒井根三叉路」バス停で五香行の時刻を確認したところ、時刻表にはなぜか隣のバス停である「酒井根庚申前」の名があった。(さすがに今度のダイヤ改正ではちゃんとなっていた。)酒井根道からさらに南下し、金ヶ作入口以南は新京成バスの柏陵高校方面の系統と並行する。
北小金駅−駅入口−根木内−宿畑−根木内中学校−西新田−広池学園入口−東山小金毛織前−光ヶ丘−酒井根−中原−逆井入口−増尾新田−南増尾−酒井根道−金が作入口−恩田病院入口−京成住宅−郵便局前−五香駅
平成11年12月に廃止された逆井入口経由の系統は、酒井根道井根道〜逆井入口間を酒井根から逆井入口を経由し大回りで柏に至る系統と並行し、そこから先は南柏から中原経由の酒井根行に並行しており、ちょうど三角形を描いている。ちなみにこの系統の「酒井根」は東武バスの「東亜住宅」と同位置で、しかも新京成のそれとは全く関係ない場所に東武の「酒井根」停留所があり、しかも東武バスのほとんどが折り返す。光ヶ丘から中原地区を通って酒井根道で酒井根中央経由の系統と合流していた。末期は1日1本しかなく非常に陰が薄かったのだが、かつて光ヶ丘〜中原間を経由する便は存在しなかったので、東武バスの柏〜南柏〜中原線ができるまではそれなりの存在価値があった。この系統、いつ頃できたのかは不明である。酒井根中央経由と同時期なのか、後なのか、先なのか分からない。ちなみに昭和39年発行の全国路線バス要覧によれば北小金〜酒井根中央〜五香駅間が1往復、北小金〜逆井入口〜五香駅間が2往復で、逆井入口経由の方が本数は多かった。ただしそのころは北小金〜光ヶ丘間の区間便が9往復、さらに北小金〜酒井根三叉路間が2往復あった。
新松戸駅−郵便局前−支所前−新松戸五丁目−小金高校−雷神社−鰭ケ崎−南流山駅
1.歴史
1985年(昭和60年) 9.15 横須賀線新松戸駅〜横須賀〜南流山間を新設。(年報・社史)
2000年(平成12年) 8.15 廃止。
運行開始は昭和60年9月25日で運行開始は常磐新線の計画が発表された直後であった。本当なら今ごろ開通して、武蔵野線と常磐新線の乗換駅である南流山駅周辺も大きく様変わりしているころなのだが、どうやら新京成のほうが痺れを切らしてしまったようだ。
流山市に乗り入れる新京成唯一の系統で、道が狭いわけでもないのに中型車を使用していた。当初は郵便局前で右折し、武蔵野線をくぐっていたのだが、いつのころからか支所前付近で右折するように経路が変更されている。単独区間が多いほうが客を掴みやすいのではないかと素人は思ってしまうのだが、ルートが変更されたいきさつはよく分からない。
この路線が走っていたころの新松戸の停留所は、南流山行の乗り場だけ放置自転車に覆い尽くされ存在感が薄かった。以前から本数が少なかったが、数年前の改正で本数がさらに減らされ、平成9年(1997)の年間乗降客数が約88,000人と客離れが深刻になってしまった。平成12年4月1日に新京成バスのダイヤ改正があったのだが、この路線は改正されず放置された。どうもおかしいと思ったら平成12年8月16日の改正で廃止されてしまった。これにより新京成バスの営業エリアから流山市が外れた。
横須賀線の経路変更
単位 千人 | 77年(S52) | 79年(S54) | 82年(S57) | 83年(S58) | 84年(S59) | 85年(S60) | 86年(S61) | 87年(S62) | 88年(S63) |
横須賀線 | 40 | 177 | 171 | 198 | 167 |
単位 千人 | 89年(H元) | 90年(H2) | 91年(H3) | 92年(H4) | 93年(H5) | 94年(H6) | 95年(H7) | 96年(H8) | 97年(H9) | 98年(H10) |
横須賀線 | 160 | 162 | 165 | 170 | 179 | 155 | 144 | 136 | 88 | 94 |
常盤平団地−星型住宅−幼稚園前−公団西口−西集会所前−第一小学校−事務所前−水道事務所前−東集会所前−東店舗前−五香駅西口
1961年(昭和36年) 6 新京成バス、常盤平線、常盤平駅〜西店舗前〜五香駅間を開業。(50年史による。市政要覧では37年4月1日)
1962年(昭和37年) 10 新京成バス、常盤平線でワンマン運転を開始。(50年史)
1992年(平成4年) 8.10 新京成バス、常盤平線常盤平駅〜五香駅間を廃止。(松戸市政要覧)
公団常盤平団地造成後まもない昭和36年6月に運行開始となった。最盛期には百本以上の本数を誇り(1970年で116本)、新京成で最も早くワンマンバスが入った路線でもあるのだが、その後客離れが進んだようで、平成4年8月10日に廃止されてしまった。末期は1日34本である。また、一時期小金原団地からの路線が常盤平団地内を循環していたらしい。
青線が常盤平線
新京成線が松戸まで全通する間のつなぎとして運行された路線。松戸〜五香間は既存の京成バスの路線に乗り入れる形を取っていたので独自区間は五香〜鎌ヶ谷大仏間のみである。
鉄道の開通により代行線は用済みとなったが、新京成はせっかく所得した免許を放棄するのはもったいないと思ったようで、このような路線を設定したらしい。免許維持が目的だから儲けようという気もないようで、昭和44年の段階でわずか1日1本であった。この路線がいつ廃止されたのかは明らかでないが、とりあえず昭和50年代前半以前である。ちなみに五香からくぬぎ山までは平成12年8月11日まで八柱線の五香〜八柱系統が走っていたが、これも平日のみ片道1本とやる気がなかった。